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挨拶考察 〜あいさつの出来ない子は本当に存在するのか〜

 空手道と挨拶には切っても切れない縁がある。また空手に限らず挨拶と
いうのは様々な分野で必要とされ、「あいさつをしましょう。」といった
感じの標語も多い。あいさつが大切であると思っている人は案外多いと思
うが、いざ実際に挨拶を行おうとすると思うように行かないこともある。
 挨拶はした方が良いのは分かっているが、なかなかそうは行かないと感
じている方が多いのが実情ではないだろうか。

 さて、先ずは原義を紐解いてみたい。挨拶をWEB検索してみると辞書
引きすることができるで概ねの意味は理解することができる。更に原義を
辿ってみると中国の仏教書である碧巌録に「一挨一拶」という禅にまつわ
る挨拶の語源となった言葉があります。「挨(あい)」には「押す」とか
「進む」とか「開く」という意味があり、「拶(さつ)」には「近づく」
「進む」「迫る」という挨に似た意味があるようです。要するに人に近づ
いて距離を縮め、交流を深めるようとする行為が感じ取られます。
 この言葉から勝手な想像をすると商人が客に向かって揉み手をしながら
笑顔で擦り寄って行くような光景が目に浮かびます。

 言葉の意味はこれくらいにして、挨拶が抱える問題点を考えてみたいと
思います。日本では幼児から大人まで、多くの人が挨拶の大切さを知って
います。それでも挨拶における問題が生じるのは何故でしょうか。また、
「あの子は挨拶ができない」というような言葉を耳にする事がありますが、
果たして本当に挨拶ができない子は存在するのでしょうか。
 
 挨拶には大きく分けて2つの側面があると考えられます。1つは見返り
を求めない挨拶で、例えるならば出産直後の母親が赤ちゃんに向かって行
う挨拶です。もう1つは損得勘定の働く挨拶で、例えるならば偉い人に認
めて貰う為に行うお辞儀です。
 多くの人が大切であると思っているのは前者の見返りを求めないタイプ
の挨拶であり、問題となるのは後者の挨拶です。筆者は挨拶の出来ない子
供はこの世に存在しないと思っています。物理的に声が出ない場合や身体
を全く動かせない人などは別ですが、仮にそうであっても隻手の音声に耳
を傾ければ挨拶の出来ない子など存在しないのです。

 では、なぜあの子は挨拶が出来ないと言われてしまうでしょうか。それ
は挨拶が出来ないのではなくて、対象となる相手に魅力を感じていなかっ
たり、擦り寄ってまで近づく価値がないと判断しているのではないかと想
像する事が出来ます。端的に言えば尊敬されていないのです。それを強引
に挨拶しろと命令されるものですから、相手に媚びるような挨拶をする子
に育ってしまうのです。お互いの人間性や人としての魅力を高め合えるよ
うなあいさつ運動が出来れば良いですね。「あいさつしろ!」と他人を注
意する前に、自ら進んで見返りを求めない挨拶を実行して行けば子供は自
然と真似をするようになるのではないでしょうか。

 では本題に入ります。挨拶の大分類については上記の通りですが、見返
りを求める挨拶は本当に必要なのだろうか?という点に迫ります。言葉だ
けで書くと「挨拶なんて要らない。」という事にも繋がるのですが、最近
では言葉の真意を読み解くことなく、言葉尻だけを捉えて問題にしたがる
メディアが多いので困りものですが、挨拶の大切さを考えるのであれば、
本当に挨拶は必要なのか?という観点からも考える必要があると思います。
 特に空手道における挨拶には形式的な不思議なものも多いので、慇懃無
礼な挨拶も見受けられるのではないかと考えています。
 見返りを求めない挨拶の大切さは誰もが承知の通りです。ですから、こ
こには何の問題もない訳です。そして、この見返りを求めない挨拶を本当
に理解できているのであれば「あの子は挨拶ができない」などと言える人
が存在しないことは明白です。

 見返りを求めるタイプの挨拶について強要を迫る指導者というのは子供
の個性を尊重しない指導者とも言えます。相手に擦り寄ってまで近づく価
値がないと判断している相手に対して、挨拶を強要するという事は指導者
の価値観の強要であり、個性の破壊に繋がります。空手界には先生と呼ば
れる偉い人たちであっても相手の挨拶に対して何の反応もせず、相手の承
認欲求を破壊することを楽しんでいるかのような人がいます。別に可も不
可もないことですが、挨拶をしたからと言って人間関係がスムーズになる
とは限りませんし、挨拶をしない事で逆に円滑になる場合もあるのではな
いでしょうか。挨拶をするなという訳ではなく、そこまで挨拶にこだわる
のであれば「挨拶とはなにか?」という点について、もう少し深く考えて
見ても悪くないのではないかと思います。

 より人間関係をスムーズにしたいと思うならば、挨拶に見返りなどを求
めずに自ら、どんどん心を開いて挨拶をして行くべきでしょう。仮に挨拶
を無視されてしまったのだとしたら、自分の魅力が足りなかったと思えば
済むことですし、挨拶をしないのが挨拶という事も考えられますので、そ
れを試して見るのも悪くありません。また挨拶をしなくて済む環境を作る
ことも大切かも知れません。他にも挨拶に行くタイミングを逸してしまっ
たり、たまたまご縁がない時もあります。そういう時は小さい事にこだわ
らず、また次回に笑顔で挨拶に行けば良いのです。何も心配をする必要は
ありません。

 最後に挨拶の方法について触れておきたいと思います。挨拶には声をか
けるものが一般的ですが、その他にも目で合図をするアイコンタクトや握
手や軽いハグなどをする方法もあります。深々と頭を下げる場合もあれば
軽く会釈をする場合もあります。空手では座礼や試合での形式的な礼もあ
りますね。言うまでもなく、大切なのは心であり形式ではありません。
 これは余計な言葉にするまでもなく「心」が込められていれば、それは
相手に伝わるものです。伝わるまでに時間がかかってしまう場合もありま
すが、それくらい大切な人であることを伝える価値は大きいと思います。

 余談ですが、相手の通行を妨げてまで強引に挨拶をする人もいますが、
それは相手の立場を思いやる気持ちが少し欠けてしまっているのかも知れ
ません。挨拶というのは簡単なようで非常に難しいものです。ただ基本的
に挨拶をされて嬉しくない人は少ないと思いますので、一喜一憂せず余計
な見返りを求めずに一度きりの人生での一期一会を大切に自ら進んで笑顔
で挨拶をしてみては如何でしょうか。

 あいさつをすることで不快な思いをしてしまった経験があるのであれば、
挨拶をしないのも1つの方法です。相手が望んでいないことを無理に行う
のは相手も迷惑でしょうから、そういう人には近づかないようにして、
先ずは心を開いている人を見つけて笑顔で挨拶をして見ましょう。あいさ
つによって、その日1日を大きく変えることが出来るかも知れません。
 しつこいようですが、大切なのは見返りを求めない挨拶であり、心を込
めることです。あいさつが出来ない子なんて存在しませんから、そういう
先入観は捨てて、どんどん挨拶をして行きましょう。どうしても人と関わ
ることが苦手な人は無理に挨拶をする必要はありません。余計な思いを断
ち切り、自然な挨拶で素敵な人間関係を育めるといいですね。

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